高校二年生になり、始業式から数週間が過ぎたけれど、クラスの靴箱に自分の靴を入れる時にはいつも憂鬱がともなう。
 わたしの靴箱の位置は背伸びをしなくても届く場所にある。でも、ちょうど頭の上に靴を入れることになるので、砂も気になるし、なによりとても入れづらい。
 
 せめて一段下なら良かったのに……

 目の前だから嫌でも視界に入る、毎日ついつい恨みがましく見てしまうその憧れの場所には、クラスで……いや多分学校で一番キレイな靴が入っている。


 学校で使う上履きや運動靴は、時が経つと共に段々と薄汚れてくる。特に踵を踏むことの多い男の子の靴はそれが顕著に現れる、と思う。
 薄汚れてくることに関しては、まあわたしも似たようなものだけれど……

 踵がキレイだな。

 漠然とそう思ったのはいつの頃だっただろう。大抵の男の子たちは上履きの踵を踏んで履いているけれど、彼のだけは違った。
 それを意識しだした頃、なぜか彼の靴がいつ見てもとてもキレイなことに気がついた。上履きは真っ白だし、通学で使っている運動靴も毎日洗っているのかと思うほどキレイだ。
 扉のない靴箱にずらっと並んだ靴の中で、いつもそこだけが光って見えた。

 矢口 空(やぐちそら)。

 棚の間に貼られた白いビニールテープに、油性マジックで書かれた名前を心の中でつぶやく。
 今朝も彼の上履きは青白く光って見えた。



 朝の廊下を歩きながら、頭の中でぶつぶつと文句を並べる。
 第一、なんでもかんでもあいうえお順にしなくてもいいじゃないか。しかも男女混合なんて。
 せめて女子だけでまとめてほしい。だって女子だけで並べ替えれば、そこそこ良い位置にくるんだもん。もちろんそんなことはとっくに計算済みだ。
 まったく、男女平等も考えものだよ。

 交換してもらえるようにお願いしてみようかと、時々、いや毎日思う。
 言ってみようと思いながら、でも、彼を見るといつも躊躇してしまう。

 なぜなら、くだんの矢口くんはかなりの問題児に見えたからだ。



 朝の会が始まるまであと十分弱。教室にはかなりの生徒が登校していたけれど、親友の三浦唯子はまだ来ていないようだ。
 席順はいまだに名簿順のままなので、わたし、森野 咲(もりのえみ)は矢口くんの前の席になる。しかも窓側から順番なので、わたしの席は1番廊下側だ。廊下に面した窓はあるけれど、見晴らしは当然ながら悪い。

 机の上に鞄を置き、壁にもたれるようにして、横向きに座った。
 目の端に映った矢口くんの席には、もちろんまだ誰も座っていない。彼がわたしより早く来ることは稀で、大抵は朝の会が始まる頃か、授業開始間近だ。
 そして今日も、担任が来て出席を取り始めた頃に扉が開く音がして、真後ろの席に彼が座る気配がした。
 こっそりと肩越しに振り返って見ると、茶色い短髪の頭が机の上に突っ伏すのが見えた。

 矢口くんのことをほとんどの人は不良だと思っている。
 もちろんわたしもそうだ。
 矢口くんの性格はフレンドリーとは言い難い、と思う。今までほとんど口をきいたこともないし、クラスの中に友達がいないのか、一日のほとんどを机の上で寝て過ごしている。
 たまに、友人らしき不良っぽい男の子たちが廊下の窓を開けて彼に話しかけるけれど、それに答える声もほとんど聞こえない。
 暴れたり、無断欠席をするわけでもないけれど、クラスに溶け込むこともない。
 でも、彼が問題児であることは確かだと思う。
 始業式の朝に早速靴箱交換を申し出ようとしたわたしは、彼のあまりの無愛想なキャラに何も言えなかったのだ。
 初めて同じクラスになってから数週間、わたしは彼の靴と上履きと、そしてほとんど頭しか見たことがなかった。それが毎日少しずつストレスになってきている。
 席替えはそのうち必ずあるけれど、靴箱の位置は一年間変わることはないだろう。

 矢口くんがもうちょっと“普通の男の子”みたいだったら良かったのに。
 名前はすごく可愛いのに……不良で、しかも靴がすごくきれいなんて、不思議過ぎる。

 自分の背の低さを呪い、矢口くんの愛想のなさを呪った。
 不思議なことに、先生に頼むとか、そこ以外の他の誰かにお願いをするとか、わたしの頭には何故かそんな考えはかけらも浮かばなかった。




 ゴールデンウィークが終わり、連休明けの重いからだを引きずりながら、また学校生活が始まった。休み時間に自分の席のそばで唯子とお喋りをしていた時、ふいに廊下の窓から黄色い頭が覗いた。
 矢口くんの不良仲間だ。
 いつものように机の上に突っ伏して寝ている彼に向かって、黄色頭くんが声を掛けた。

「空、明日、誕生日だろ? なんか祝ってやるよ」

 その呼びかけにも矢口くんは答えなかった。黄色頭くんは慣れているのか、気を悪くすることもなく、なにか考えとけよと言いながら行ってしまった。

 そうか、明日は矢口くんの誕生日なのか。
 唯子と話しながら、なぜか頭の隅でぼんやりとそう思った。




 翌日の朝、昨夜から急に降り出した雨はもうやんでいたけれど、曇り空の下、ぬかるんだ道を歩いてきた靴は泥だらけで、それを頭の上まで持ち上げなければいけないと気づいた時に、憂鬱さが倍増した。
 目の前にはやっぱりキレイな上履きがある。片手に泥だらけの靴を持っていたわたしは、憂鬱を通り越してイライラしてきた。

 話すのがダメならメモでも入れてみるか。

 そう思い立ち、教室に入るなり半ば腹立ち紛れにノートの最後のページを少し破ってペンを走らせた。

“靴箱の場所を交換して下さい  M”

 ……果たしてこれで通じるのか、甚だ疑問だ。
 自分の苗字をちゃんと書けないあたり、若干彼に対する恐れが入っているのは否定できない。

 ……でも、これじゃあ通じないよね。

 “M”の文字を消しゴムで消して、“森野”と書き直してみた。
 これでも通じるのかはわからないが、いざとなれば事後報告で交換してしまえばいいだろう。いくら不良とはいえ、さすがに靴箱の位置くらいで女の子相手にキレることはないだろうし。

 まあ矢口くんが怒ったところは見たこともないけれど……。

 半分やけっぱちに思いながら、小さな紙をじっと見つめた。
 後ろの席に、当の本人はまだ来ていない。
 なんとなく湿った教室の中で、ふぅっと息を吐いた。



 放課後、部活動もそこそこに、大半の生徒が帰るのを待ってから昇降口に行った。いつもよりほんの少し泥のついた、それでもキレイな矢口くんの靴はまだそこにあるから、校舎のどこかには居るらしい。

 タイミング的にはちょうど良いのかも……。

 そう思ってはみるものの、扉の無い靴箱に“何か”を入れることはとても勇気がいる。
 片手に小さな切れ端を握り締め、踵のキレイな靴をたっぷり三十秒近く見つめた。

 よし。

 意を決して腕を上げ、紙をそこに入れようとした瞬間、

「プレゼントじゃないんだ……」

 背後から突然聞こえてきた声に思わず飛び上がり、急いで振り返ると、そこに矢口くんが立っていた。

 本人の出現に半ばパニックになりつつ、初めて真正面から彼の顔をマジマジと見つめた。
 矢口くんは思っていたよりももっとずっと普通の顔で、バカみたいにあたふたしているわたしを見て、なぜか照れたように笑った。

「や、ずっと見てるから、もしかして何かくれるのかなぁーって期待してたんだけど……」
「ご、ごめんなさい」
「いや、別に……こっちの勘違いだから」

 矢口くんは頬を赤くして、ぽりぽりとこめかみを掻いて俯いた。
 初めてちゃんと話をした矢口くんは、どこをどう見ても不良からは程遠い。そして、わたしよりも更に居心地悪くしている彼を見て、心の中に説明できない感情が広がった。

「ち、違うのっ。いや、違わないけど……く、靴箱の位置がね……」

 しどろもどろに説明を始めたわたしの話を、矢口くんは顔を上げて黙って聞いていた。
 その後、やおら名前の書いてあるビニールテープを剥がすと、ふたりの位置を入れ替えて貼り直してくれた。

「これでいい?」
「あ、ありがとう!」
「いや、いいよ」

 指で鼻の下を擦りながら、矢口くんが照れくさげにつぶやいた。

「……初めて話せたし。……俺にとっては、思いがけず、すごいプレゼントになったよ。ね?」

 信じられないくらい人懐っこく笑う彼に、わたしの心臓が大きく動いた。

 ちょ、ちょっとこれって……。

 矢口くんが靴箱からわたしの靴を出して下に置いた。それから、自分の運動靴を取り出して履き、さっきよりも高い位置になったそこに、何の苦もなく自分の上履きを入れた。
 慌ててわたしも上履きを脱ぎ、ずっと憧れだった場所に置いた。
 
 ああ、なんて置きやすいの。
 感動のあまり、涙が出そうだ。こんなことならもっと早く言えば良かった。矢口くんは不良でも何でもなさそうだし、それに……。
 
 歩き出そうとした矢口くんを思わず呼び止めた。

「あのっ……」
「ん?」

 振り返った彼が立ち止まる。
 
「今日お誕生日なんだよね? プレゼント、何がいい? 何が好き? 明日持ってくるっ」
「いらないよ」
「でも……」

 矢口くんはわたしの顔を見ながら少し考えたあと、すっと手を差し出した。

「……じゃあ、途中まで一緒に帰ろ?」

 思わずその手をじっと見てしまった。
 矢口くんはまた少し笑って、ほらっと誘うように手を揺らした。
 なぜだか抗えない気持ち。
 恐る恐る伸ばしたわたしの手が、彼の手にぎゅっと握られた。 

「捕まえた。なんてね?」

 人懐っこく笑う彼に胸がぎゅっと痛くなった。
 痛いというかこれはまさに……。

 恋ってこんな風に始まるのだろうか……。

 呆れるくらい簡単に、わたしは一瞬で彼に恋をした。
 でももしかしたら、ずっと前からその欠片はあったのかもしれない。

 今日は彼の誕生日で、今日はわたしの恋が生まれた日。
 とっておきのバースデー・プレゼントはお互いの目の前にある。

 繋いだ手をぎゅっと握り返し、並んで外に出ると、雲ひとつない青空がどこまでも広がっていた。





おわり

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MEMO


このお話は、東日本大震災のチャリティー本への寄贈です。
サイトへの掲載許可が出ましたので、こちらにUPします。
【許可はかなり前に頂いていたのですが…すみません)

当時、主人公の名前をななみにしていたのですが、すっかり忘れていて、
「ロマ似」の有田さんにつけてしまったので、こちらを変更しました(^^;

短いお話ですが、楽しんで頂けると嬉しいです。


2014年11月 小鳥拝