家から学校までは徒歩で十五分。校則に従った夏用のセーラー服を着て、私は手ぶらでぶらぶらと歩く。ナナメ上からじりじり照りつける太陽のせいで、頭の天辺が燃えそうだ。俯いて歩きながら、アスファルトから照り返してくる光に目を細める。

 校門を抜け昇降口の中に入ると、わずかにひんやりとした空気にほっと息を吐く。夏休みで誰もいない校舎。静まり返った廊下にひたひたと響く自分の上履きの音。グラウンドからは運動部の叫び声とセミの鳴き声がかすかに聞こえる。



 校舎の三階にある生物室の扉にはいつも鍵が掛かっていない。そっと開けて、教室の一番後ろの棚に置かれた水槽に近づく。横幅四十五センチのそれには七匹の真っ赤な金魚が泳いでいた。

「やあ、今日も元気かね?キミたち」

 言いながら、すぐ横に置いてある餌箱をとって水槽の前でふるふると揺らすと、気づいた金魚たちがゆっくりと浮かび上がってくる。

「…ふふ」

 独特の匂いのそれを指先でつまんでパラパラと落としてやる。小さな丸い粒があっという間に金魚たちの口の中に吸い込まれていくのをぼんやりと見つめた。



 去年の入部当時、生物部の部員は僅か十名足らずで、一年生に至っては私を含めたった二人だった。そして一年経った今年は新入部員も入らず、三年生は一学期が終わるとともに引退してしまい、残った部員はわずか二人。このままでは“部”から“同好会”に格下げされることは確実だけど、別に大した活動をしているわけでもないので私自身はあまり気にしていない。

 同じ二年生の片割れは別の部活動と掛け持ちしているため、生き物の世話は必然的に私一人でやることになった。生き物と言っても、生物部として飼っているのはここにいる金魚七匹だけ。それも特別希少なモノでもなんでもない。何代か前の先輩部員がお祭りの屋台ですくって来たただの金魚だ。生物部の顧問は別に来なくても良いと言ってくれたけれど、夏休みに何の予定もなかった私は、毎日こうして学校に来ては餌をやっている。

 でもこれはただの大義名分だ。




「今日もご苦労様」

 耳に馴染んだ低い声に振り返る。準備室の扉にもたれ、件の顧問が立っていた。いつも着ている白衣は眩しいくらいに真っ白だ。神経質そうな目、キッチリと後ろに梳かした髪、銀縁のメガネ。なんと言うか、先生!!って感じの人。私が大して興味のなかった生物部になぜが入ってしまい、夏休み中もこうしてせっせと学校に通っている最大の理由はこの人にあった。


 そう、特別生き物が好きだったわけじゃない。
 ただ、妙にこの人が気になった。


 これが恋かと言われれば、それはちょっと自信がない。ほら、よくある憧れと言うヤツ。きっとそれに近い、…多分。例えば同級生が見目良い先輩に興味を示すように、私はこの人が気になって仕方がなかった。

 特別顔が良いというわけでもない。整ってはいるけれど、どちらかと言うと地味な感じもする。生徒受けする人気者でもない。授業は厳しく、気さくに声をかけるには少し勇気がいる。私だって部員と顧問と言う間柄になってしばらく経ってから、ようやく授業以外でも話が出来るようになったくらいだ。



「麦茶でも飲んでいけよ」

 準備室に招き入れると、先生が小さな冷蔵庫からお茶の入ったポットを取り出した。

「先生、もしかして、フラスコとかでお湯を沸かしました?」
「失礼な。ちゃんとヤカンがあるんだよ」

 こういう軽口をたたけるようになったのも、生物部に入ったお陰と言えるだろう。近寄りがたいと思われていた先生は意外とユーモラスな人でもあった。
 ビーカーで出てくるのだろうかと思っていたお茶はちゃんとしたコップで出てきた。冷えた麦茶をゴクリと飲むと、冷たさが喉を通っていく。ふうと一息つくと、そばで低い笑い声がした。


「本当にお前は真面目だな」

 見ると先生がこっちを見て笑っていた。厳しいと恐れられてもいるこの教師が、授業中にこんな顔を見せることはまずない。

「魚は一日や二日餌を食べなくても生きていけるんだから、たまには休んで良いんだぞ」

 その言葉に、私は曖昧に笑う。


 だって、休んだら先生に会えないでしょう。



 もう一年以上にもなるのに、私がこの人について知っていることは本当にわずかだ。例えば年齢、それから散髪は三ヶ月に一度くらい。お昼ごはんは学食で食べることが多くて、白衣はいつ見ても真っ白だ。「生物」が好きだと言うことは、いつだったか何故教師になったのかを聞いた時にそう教えてくれた。

『生き物は好きだ、正直だからな』



 それに、先生は男の人なのに綺麗な指をしている。黒板に板書する時のチョークを持つ手が好きだ。もしもその指で触れられたら、私はどうなるのだろう。それは、頭の中でいつも繰り返す他愛ない想像。




「金魚の観測だけじゃつまらないだろ。予算があるうちに何か興味のあることをしろよ。何かないのか?」

 いつの間にか見入っていた先生の指先から目を上げると、面白そうな彼の顔がそこにあった。


 あなたに興味があるんです、何て言えない。

 恋人はいるんですか?
 結婚しているんですか?
 その真っ白な白衣は誰が洗っているのですか?

 女子高生に興味はありませんか?


 聞かれた答えよりも聞けない質問ばかりが頭の中を巡る。




「…お前はほんとに動物みたいだな」

 先生がくすっと笑った。

「…は?」
「感情が行動に出てる」

 そう言うと先生がゆっくりと近づいてきた。

 真っ白な白衣に夏の日が当たる。それがまるでレフ版のように眩しくて、私は思わず目を閉じた。

 頬に何かが触れた。それが先生の長い指だと気づいた瞬間、肌が粟立つ様な感覚が全身を通り過ぎ、私はそこから一歩も動けなくなった。それはどんな想像よりも強烈な…。


「後悔するなよ」

 低い声と同時に温かく乾いた感触が自分の唇に触れたとき、私の中で何かがはじまったのを感じた。






おしまい





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えー、ここでっ!??と思われると思いますがこれで終わりなのです(^^;
この後彼女は鬼畜教師の魔の手に…(おいっ)

ということで、とうとうやっちまいましたよっ。
妄想小説の基本、先生モノです(笑)
このお話は、去年の夏に途中まで書いてたものです。
前々から教師モノは書いてみたかったんですけど、やっぱりちょっと難しいですねぇ。
私自身先生に憧れたことがないので、イマイチ良くわからないしw

もともと短編として書いたものなので、今のところ続きは考えてません(^^;
でもまあこれで終わるのもちょっと…とは思うので、また良い感じのシチュエーションが
思い浮かんだら書いてみたいと思います。
あー、その前に名前も考えないとなぁ…。名無しさんだしw

…つか、こんなお話はアリですか?(^^;


3月13日 小鳥 拝