草也(そうや)といると時々、自分がとても惨めになる。

 清水草也(しみずそうや)は端正な顔立ちで、都会育ちのわりに全然すれてなく、その名の通り自然に溶け込んで生きているようなそんな男だった。彼のちょっとした仕草(例えば髪をかき上げたり、黒板を板書したり)、そういう時の細かい動作ひとつひとつが妙に洗練されていて、それを見るたびに「月」と比べられる「すっぽん」のように私は惨めになるのだ。
 けれど、何年経っても直らない私の関西弁訛りの標準語を、笑いもせず、訂正もせずに、

「小夜(さよ)らしい素直な言葉だね」

と言ったのも草也だけだった。

 私は初めて会った時から草也を愛している。
 それは、私が一番認めたくない事実なのだ。



 草也と私が初めて会った時のことは今でも良く覚えている。

 小学校6年生の秋と言う中途半端な時期に、父親の仕事の都合で神戸から東京に引っ越してきた。都立小学校6年1組の教室、一番後ろの窓際に草也は座っていた。教室に入った時に一番最初の目に入ったのが、草也の清潔そうな横顔だった。同じ教室の中で、そこだけが空気が揺らいで見えたような気がした。草也はあの頃から不思議な男だった。

「神戸から来ました。杉原小夜です」

 顔を上げた瞬間、飛び込んできた好奇の目にクラクラするのをかろうじて堪えながら、私は教師が示したあの席に向かった。草也の隣の席だ。

「えーっと…、よろしくね」

 机にランドセルを置いて、穏やかな表情で見上げている草也に緊張しながら笑いかけた私に、草也はふっと微笑んで、

「清水草也です。こちらこそ」

と言った。その言い方があまりにも紳士的で、関西の男の子たちと(多分、全ての同年代の男の子たちと)まったく違うので私は驚いてしまった。

「…清水くんって、いっつもそんな喋り方するん?」
「…どうして?なにか変かな?」
「ううん、そんなんちゃうけど…あ…そうじゃないけど。でも、私そう言う話し方する男の子ってあんまり知らないから…」
「…そう?…やっぱり変かな?」

 困ったような顔で草也が言った。その表情すらなぜか見惚れそうになった。私はすぐにブンブンと首を振って、自分なりの精一杯の言葉で伝えた。

「ううん、そういうのって良いと思うよ」
「…ありがとう」

 草也が笑った。自然にとけてしまいそうな笑顔だった。
 それが、私と草也の初めての会話だった。


 草也の家はお祖母さんが茶道を、お母さんが華道をそれぞれ師範していて、その所為もあって、かなりきちんと躾がされていた。立ち振舞いや言葉使い一つ取っても、草也は優雅だ。上にお姉さんが三人いるせいもあるのか、男の子に交じって外で走り回って遊ぶタイプではなかった。それを時々からかう子たちもいたけれど、草也は至ってマイペースだった。



 そんな草也も年齢が進むたびに鬼のようにモテた。
 もともと端正な顔立ちで、成績も良く人辺りが良い。おまけに少し浮世離れしたあの話し方や、いつも穏やかに微笑んでいる様子に女の子が放っておくはずがない。学年が上がるたびに、異性を異性として意識し出すと拍車がかかったように彼はモテていった。

 草也は誰に対してもいつも優しいけれど、それは一歩引いた優しさだった。草也のまわりにはナチュラル・バリアー(私が命名)があって、その中に他人が踏み込むことを彼は良しとしなかった。そのバリアーは強力で、告白も何度もされていたようだけど、それでも草也は誰ともつき合うことはなかった。




 それは名前にあった。

 草也は私を「小夜」と呼ぶし、私は草也を「草也」と呼ぶ。
 なぜそうなのかは実はとっても簡単で。私たちが通っていた小学校は、人数も少ないせいかみんなが友達だった。必然的にクラスメイト全員が下の名前で呼び合うような、そんな環境だったのだ。中学に上がった頃、ちょっと恥ずかしくなって一度だけ「清水くん」と読んでみた。けれどその時草也はとっても複雑な顔をして、

「小夜にそう呼ばれるのってなんか違うなぁ。名前で呼んでよ、いつもみたいに」

と言われてしまったので現在に至る。

 その後、高校に上がってもその呼び方は続いていた。しかも、今の高校にはその小学校の出身者が少なくて、必然的に私を「小夜」と呼ぶ男の子は草也だけで、草也を「草也」を呼ぶ女の子は私だけだった。


 その所為で、私は入学当初からよくその質問を受けるのだった。

「ねえ、清水くんとつき合ってるの?」

 その質問にも、いつも「さあ」としか答えられなかった。
 確かに、なぜか草也は私以外の女の子を名前で呼ぶことはなかったし、一番そばにいることを許されていたのは何の取り得もない私だった。けれど、私と草也の関係を言葉にするのはとても難しい。


 その頃の私たちは、時間のある限り一緒に居て、一緒に帰って、そして時々キスをする仲だった。


 そう、最初にソレをしたのはいつだったのか…確か中学3年の夏の事。夏休みの補習でたまたま草也と二人だけになった時のことだった。校庭で叫ぶ生徒の声とか、教室の窓のすぐそばにある大きな木から聞こえてくる蝉の声とか。二人の会話が途切れて、そんな周囲の音しかしなくなった瞬間。隣の席に座っていた草也の顔がすっと近寄ってきて、触れるだけのキスをした。びっくりして固まった私に、草也はいつも通りの笑顔を向けて、それからまた何事もなかったようにプリントをやり始めた。
 
 その時から、私たちはときどきキスを交わす仲になった。

 だからと言って草也から告白されたとか、私から告白するとか、そう言うことは一切ない。草也は昔から何も変わらない。だから私も何も言わない。

 私のことを好きなの?って言葉も言えない。それを言うには自分に自信がなさ過ぎた。なぜ草也が私のそばに居るのか、その意味さえ問うことが出来なかった。

 草也と私の関係は曖昧だ。けれど、その曖昧さが心地良かった。
 好きなの?と聞いて、違うよと言われるのが怖かった。それを言ってしまえば、私が草也を愛していることを認めてしまう。それが怖かった。
 だから私は、今のままの曖昧な関係を続けていたい。





 草也がいつもどう言う風に告白を断わっていたのか知らないけれど、彼の一番近くに居る女は間違いなく私であり。それは当然草也を想う彼女らにとっては忌むべき存在で。それでも不思議と直接何かを言われたり、されたりすることはなかった。そう、今までは。


 高校2年の時だった。その女(名前も知らない)は一つ年下で。草也と同じ部活に入り(草也は書道部だった)草也と同じ委員を選び、身体全体で草也に対しての恋愛感情を表しているような可愛い子だった。気にならないと言えば嘘になる。私よりもよっぽど素直で可愛いその子に対して、私は卑屈過ぎた。それでもいつも通りでいられたのは、やっぱり草也の態度が変わらなかったからだ。部活や委員が一緒の彼女よりも、多分私の方が草也のそばにいる時間が長い。だから彼女から、時々その可愛い顔に似合わない、怖いくらいの嫉妬の目で見られたことも何度もあった。

 その夏、彼女は他の大勢の女の子と同じように草也に告白して、同じ様に振られた。そして、他の子とは少し違う行動を取った。






 パンッ、と言う乾いた音と同時に、自分の頬が一瞬熱くなった。熱はすぐにじんじんとした痛みに代わって、自分がぶたれたことがわかる。

「あんたなんかに、清水先輩に似合ないんだよっ」

 お約束のような場所。放課後の体育館の裏庭で、彼女とその友達は私にそんな言葉を投げつけた。私の頬を力いっぱい叩いたのは彼女の友達で、彼女はその後ろで、相変わらず可愛い顔に涙を浮かべて私をじっと睨んでいた。

「あなたなんかより私の方が全然可愛いのにっ。つり合わないくせに草也先輩のそばに居ないで下さいっ」

 力任せに叫ぶ彼女を、私はぼんやり見ていた。私に何の反応もないので、目の前にいる二人がイラつくのがわかる。でもそれは見た目だけで、実際私の頭の中にはさっきの二人の台詞がぐるぐると渦巻いていた。


 似合わない
 つり合わない

 それは私が一番良くわかっていたことで、一番誰にも言われたくないことだった。キレイな空に浮かんでいるお月様に、地べたを這いずり回っているすっぽんが近寄れるはずがない。同じ人間なのに、私と草也はまるで違う。目の前に居る彼女ほど可愛いくもないし、これと言った特徴も秀でた部分もない。そんなことは私が一番わかっている。わかっているからこそ、誰にも言われたくなかった。曖昧な関係に甘えて、自分をせめて同じ空に浮かぶ星のひとつくらいに勝手に格上げしていた。
 
 そうだ。私は星ですらない。お月様には一生手が届かない、すっぽんなんだもの。草也のそばには、彼女みたいなお日様みたいに輝いた女の子が似合うだろう。こんな時でも涙の一つも出ない、可愛げのない女は草也のそばにすらいられない。そんなことは十分過ぎるほどわかっている。草也をこっそりと愛することすら、きっとおこがましい。だから、認めたくなかった。草也を愛していることを。

 何も言い返さない私にとうとう痺れを切らしたのか、彼女がまた一歩私に近づいた。

「どうしてあなたみたいな人が草也先輩と一緒に居るのかわからないっ。草也先輩はあんなに素敵なのに…なぜ?」

 可愛い彼女の口から出る言葉は、まるで鋭い刃のようだ。ぐさぐさと容赦なく私の心に刺さっていく。

 お願い
 それ以上言わないで
 わかっているから

 ホンモノの涙の代わりに、心の中で涙が流れた。



 その時、ジャリっと地面を鳴らす靴音が聞こえた。ふと見ると、少しだけ息を切らした草也がそこに居た。

 草也は一瞬だけ足を止めて、それからゆっくりと私たちに向かって歩いてきた。草也の顔からデフォルトみたいに張り付いた笑顔が消えていて、その顔はほぼ無表情だった。初めて見るそんな顔に、その場にいた誰もが口を開けなかった。

 草也はすぐそばまで来ると、何も言わずに私の顔をじっと見た。それからぎゅっと眉間に皺を寄せて、手を伸ばして私の頬をふわっと包んだ。力いっぱいぶたれたそこはまだ熱を持っていて、草也の少しひんやりとした手のひらが心地良かった。
 草也は片手を私の頬に添えたまま、もう片方の手を私の肩にまわして、ぐいっと自分の方へ引き寄せた。ふうわりと包むように、草也の腕の中に抱き込まれる。突然の状況に、途端に早くなる鼓動。動揺した私を落ち着かせるように草也の手がゆっくりと肩を撫でた。


 私を抱え込んだまま、草也の身体が少し動いた。

「…君が、小夜を叩いたの?」

 ようやく聞こえた草也の声は、やっぱりいつもとは違っていた。少し怒気を含んだ硬い声は私でも初めて聞く声だった。

「…ち、違…」

 彼女の声も少し震えていた。

「…確かに、僕は小夜が好きだから君とはつき合えないって言ったけど。そのことに関して小夜は関係ないし、彼女に何もしないようにとも、僕は言ったよね?」

 その言葉に、私の身体がビクっと震えた。草也の腕にも少し力が入る。
 草也、今なんて言ったの?
 なんて、今聞けるはずもなくて、私は大人しく草也の腕の中にいた。

「…でも…」
「だってっっ、清水先輩にその人はっ」
「つり合うとかつり合わないとか、それは君たちに決めてもらうことじゃないし、大きなお世話だよ」

 お友達の言葉を遮って草也が言った。もしかしたら、さっきの言葉も聞こえていたのかもしれない。

「少なくとも小夜は、君みたいに暴力や言葉で他人を傷つけるような、そんな卑劣なマネはしない。こんな風に小夜を傷つけるなんて…」

 痛む頬を草也の手がゆっくりと撫でて、さらにぎゅうと抱きしめられた。

「謝って。小夜に」
「……」
「今、ここで謝って。そしてもう2度とこんなことしないと誓って。じゃないと、僕は君たちを許さない」

 今まで以上に冷たい声で草也が言った。草也の腕の間から、そっと彼女らの様子を伺うと、唇を噛みしめて立ち尽くす二人が見える。

「…ごめんなさい…」
「…ご…ごめんなさい。もう、しませんから…」

 普段の穏やかな草也からは考えられないくらい冷たい様子に、私以上にきっと驚いたであろう彼女らは、そう呟くように言うと走ってこの場を離れて行った。




 抱かれていた腕がゆっくりととかれる。それでも頬に添えてある手はそのままだった。ぼんやりと何も言わずつっ立っている私の顔を草也が覗きこんだ。

「小夜、大丈夫?まだ痛い?ああ、冷やしたほうが良いかな?」

 なんて、珍しく慌てながらポケットを探る。そんな様子を見ながらも、私の頭の中は大混乱だ。

「…なんで、ここがわかったの?」

 違う。
 言いたいことは、聞きたいことはそんなことじゃないのに。
 そんな私の混乱もよそに、草也は少しだけ痛ましげに私を見た。

「一緒に帰る約束だったでしょう?教室に行ったら、1年生と一緒に出て行ったって聞いて…。捜していたら声が聞こえたから…」

 草也はポケットから取り出したハンカチを握り締めて、冷やしに行こう、と私の手を取って歩き出そうとした。
 けれど私は一歩も動かず、その手を自分の方へと引っ張った。草也の身体がガクンとなって、少しだけびっくりした顔で振り返る。

「さ、小夜?」
「…そ、草也って、私のこと好きなの?」

 思い切って出した声は震えていた。

「…好きだよ」

 草也はちょっと驚いたあとニコリと笑って、さらに、知らなかった?と言った。その顔はいつもの笑顔だった。

「し、知らなかった…。…いつから?」

 私の言葉に草也はちょっと考える素振りをして。私の前に真っ直ぐ立って手をぎゅっと握り直した。

「最初から、だよ。…僕はね、自分の話し方とか性格とか好きじゃないんだ。女みたいだってからかわれて、随分悔しい思いもして…。でも小夜が言ってくれたでしょ?それって良いと思うって。そんな風に言ってくれたのは小夜だけだったからすごく嬉しかった。その時から小夜が好きだよ。それに、好きでもないのにキスなんてしないよ、僕は」

 いつも通り穏やかに話す草也は、くすりと笑いながら私の頭をそっと撫でた。

「…だって、全然そんなこと言わなかったじゃない」

 睨むように見上げる。そんな視線も草也はしっかりと受け止める。

「小夜だけを特別扱いしてたつもりなんだけどね。でも、ごめんね。小夜の中で迷いがありそうだったから…。小夜が今のままが良いならしばらくはそうしていようと思ったんだ…。ごめんね。小夜に迷惑がかからないように、今まではちゃんと言い含めてたんだけど…痛かったでしょう?」

 多分赤くなっているであろう頬を、また草也の手が包んだ。ふるふるとゆるく首を振って、私はうな垂れた。

「小夜?」

 心配そうな草也の声が頭の上から聞こえる。

 好きだと、特別だと、草也は言ってくれた。
 認めてもいいの?
 草也を愛していると、私自身が認めてもいいの?
 そばにいることを許してくれるの?
 お月様みたいにキレイなあなたのそばに。
 こんなにも何にもない私が居てもいいの?
 だって私は…。


「……草也ぁ…すっぽん好き?」
「…は?」

 うな垂れたままの私の言葉に、珍しくとぼけた声で草也が返事をした。

「すっぽん、好き?」
「…すっぽんって亀の?」
「そう。好き?」

 うな垂れていた顔を上げて、私は草也を見た。
 真っ直ぐに私を見ていた草也は、やっぱり少し不思議そうな顔をしていた。それでもまた穏やかに微笑むと、いつもの優しい声で言った。

「…キライではないよ。生き物はみんな好きだし」
「…なら、良いや」

 私は手を伸ばして草也の腰にまわすと、そのままぎゅっとしがみついた。

「小夜?」
「…雷が鳴るまで、離さなくていい?」

 草也の胸に顔を押し当てたまま、私は言った。

「変な子だねぇ…君は」

 頭の上から聞こえてくる声はいつも通り穏やかで、

「雷が鳴っても、離さなくてもいいよ」

続けてそういうと、草也は私をぎゅうっと抱きしめた。


 草也の温かな腕に包まれながら、それでも私は永遠の晴天を願った。








おしまい




「草也(そうや)といると時々、自分がとても惨めになる。」
この文節から始まるお話をずっと書きたかったんです。

このお話を考えたのは、実は15年くらい昔です(笑)
最初の出だしから十数行はその頃書いたそのままです。
本当は、こんな展開の話にする予定ではなかったんです。
もっと長くて、じれったくて、文学的なお話にする予定でした。
でも15年間かけても、全然無理で…(^^;)
結局こんなありふれたお話になっちゃった。
それでも草也は私にとって大好きな男の子で、
兵庫も尚人も、きっと奏やコウも、根底は草也がベースになっていると思われます(笑)

ちなみに、すっぽん娘(!)小夜の名前は15年前は「悠衣」でした…(^^;)
「Dear…」に使っちゃったんで、適当につけ直しました。
小夜はベースが関西人の天然ちゃんです。
草也のナチュラル・バリアーを感知出来るくせに、かなりの鈍感で、後ろ向きな性格…と言う
…こうして書き出すと、かなり面倒くさい女ですね(笑)
普通、名前で呼ばれてちゅーまでされてりゃあわかるだろっって、突っ込みも多聞にあるかと
思いますが、まあ、そこはそれ、お約束と言うヤツで(^^;)
これからはまさにすっぽんのごとく草也から離れないでしょう(笑)

タイトルもなぁ…相変わらず自分のセンスのなさに嫌気がさしますが…
まあ、ストレートにいってみました(ストレート過ぎだっ)
もうちょっと可愛げのあるタイトルをつけたいなー…。
誰か考えて下さい…(他力本願なヤツめっ)。

それでも、少しでも楽しんで読んでいただけたのなら幸いです。
ここまで読んで下さってどうもありがとうございました。



2006年8月15日  小鳥 拝