『ロマンティックは似合わない』
どこでも読書さん2013年春のフェア用SS
「愛より深く」


「あの、こ、これをお願いしたいんですけど……」
 別の部署の話したこともない女の子が、恥ずかしそうに一冊の文庫本の入った袋をわたしに差し出してきた。
 ああ、またか。
 半ばうんざりしながら、それを受け取る。
「もしも無理だったらごめんね」
 あんまり愛想の良くない表情で彼女を見ると、慌てて手を振った。
「べ、別に大丈夫ですっ。本当にいつでもいいのでっ。よろしくお願いします」
 ぺこりと頭を下げて去っていく背中を見送ってから、ため息をひとつ。受け取った本を机の引き出しに仕舞うと同時に、聖子の声が聞こえた。
「またサイン頼まれたの?」
 顔を上げると、彼女がこっちを見ていた。
「まあね」
 返事をしながらからだを起こす。
「一番最初にサインをもらったわたしが言うのもなんだけど、もうそろそろ断っても良いんじゃない? 高木先生も大変でしょ?」
 困ったような彼女に、同じように困った表情を見せた。
「まあそうなんだけどね」
 サインをする本人は嫌がってないのよね、実際のところ。

 わたし、有田七実が、今をときめくベストセラー作家の高木慎三先生とお付き合いをしているという話は、あっという間に社内中を駆け回った。
 それからもう数か月経つけれど、その間に頼まれたサインは三桁に迫る勢いだった。普段まったく本を読まなさそうな部長までも、わざわざ買って持ってくる始末で……
 それはそれで売り上げに貢献しているから良いかとも思うけれど、さすがに最近はもううんざりしてきた。
 でも、当の慎哉さんは、嫌がらずに何冊でも喜んでサインをしてくれた。多分、社内でのわたしの評判を気にしてくれているんだと思う。
 そんなに気を使ってくれなくても良いのになぁと思いつつ、その気遣いが嬉しかったり。
 恋する女心は複雑なのだ。

「うちらもお昼いこ」
 立ち上がった聖子に続いて、お財布と携帯だけを入れた小さなカバンを持って廊下に出た。
「どこにいこっか? ちょっと遅くなっちゃったし、社食は混んでるよねぇ」
 そんな話をしながら聖子と並んで歩いていると、目の前に女の子の集団が見えた。その中には、さっき慎哉さんの本を持ってきた子がいた。
「やっぱり羨ましいなぁ、有田さん。あんな有名人の彼氏がいて」
 同意する声がその中からいくつも上がる。そんな彼女たちの声は、後ろを歩いているわたしの耳にも良く聞こえた。
「もし結婚したら、セレブな専業主婦生活確実だよねー。だってベストセラー作家だよ。大金持ちでしょ! きっと都心の一等地に大きな一戸建てとか買えるわよ」
 まあ、大概の人はそう思うだろう。私的には微妙な気分だけれど。
 ……確かに、彼の仕事部屋にしているマンションは豪華だ。それにあれだけベストセラーを出しているんだから、お金も持っているんだろう。でも、彼の生活の拠点は、きっとこれから先もずっと今の我が家だ。
 世間の意見として当然のことを言われているとはいえ、やはりちょっと下世話に感じてしまう。隣を歩いている聖子も微妙な表情だ。
 でも、言わせてもらえば、家事に関しては慎哉さんの方がやる気満々だ。祖母から日々料理を教わっていて、そのレパートリーはもうかなりの数になる。
 彼にはそっちの才能もあるらしい。わたしの恋人は何でも出来る男なのだ。
「でもさ、結局は自由業なんだし、売れなくなったり書けなくなったりしたら終わりでしょ」
 前を歩く誰かの言葉に、わたしではなく聖子がギョッとした顔をした。
「あー、そういう可能性もあるわね。だったらセレブも続けられないわよねぇ」
 同意の声がまた続く。
 そこには別に悪意は感じない。多分、一般的な意見だろう。

 本当のことを知るまで、わたしは彼のことをただの怪しいフリーターだと思ってきた。成功したから良かったけれど、もし才能や運がなければ、彼はきっと怪しいフリーターのままだったと思う。わたしがいうのもなんだけど、慎哉さんは一般的な社会人スキルが結構低い。
 売れるか売れないか。それは紙一重かもしれない。それでも、どんな風になっても彼の性格はきっと変わらないのだろう。
 わたしが好きになったのは、ベストセラー作家の高木慎三ではなく、ただの下宿人の高木慎哉さんなのだ。

「大丈夫よ。わたし、結婚しても仕事は辞めないから」
 わざと聞こえるくらいの声でそう言うと、驚いた女の子たちが見るからに飛び上がって、それから後ろを振り返った。全員があんぐりと口を開けてわたしを見ている。そんな彼女たちににっこりと笑いかけ、聖子の手を引っ張って、立ち止まっているその集団を追い越した。
「な、七実っ」
 しばらくしてから手を離すと、聖子が心配そうな顔でわたしを見た。
「七実、気にしちゃダメよ。あんなのただのやっかみなんだから」
「そう? 結構一般的な意見だと思うわ」
 さらりとそう言うと、聖子が驚いた顔をした。
「……七実って、強いのね」
「そんなんじゃないわよ」
 聖子に笑顔を返す。
 別にわたしが強いわけじゃない。わたしと慎哉さんの関係は、恐らく多くの人が思っているようなものではない。根本的に違うのだ。
 だから、彼女たちの言葉は、わたしからすれば逆にちんぷんかんぷんで笑えてしまう。
「でもまあ、ちょっとはムカついたから、本を預かってることはしばらく忘れることにするわ」
 聖子にそう言うと、彼女が少し意地悪そうな顔で笑った。
「それいいかも。絶対に催促できないしね」
 二人でクスクスと笑っていると、段々もっとおかしくなってきた。行きかう人達に変な目で見られながら、それでも笑いは治まらなかった。

 久しぶりに週末にデートをしようと慎哉さんから誘われた。
 けれど、原稿がまだ終わらないので仕事場まで来て待っててほしいと言われたのは、当日の朝のこと。一瞬怒った方が良いのかしらと思ったけれど、ここ数日間は下宿に帰って来れないくらい忙しくてずっと仕事場に籠っていたし、電話越しの声があまりにも疲れていたので、それはさすがに止めておいた。
 一応デート用におめかしして、祖母に冷やかされて家を出る。電車を乗り継ぎ、降りた駅前のコンビニで念のために食料を買ってから慎哉さんのマンションに向かった。
 合鍵をもらったのはもう随分前だ。オートロックも慣れたもので、コンシェルジュの人達ともすっかり顔なじみになった。
 高層階用のエレベーターで最上階まで上がり、これだけはいつまで経っても慣れない、微かな浮遊感を感じながら慎哉さんの部屋の鍵を開けた。
「こんにちはー」
 奥に向かって声をかける。
「どうぞー」
 くぐもった声が廊下の奥から聞こえた。勝手知ったる我が家のようにさっさと靴を脱ぎ、すたすたと廊下を進む。
 開け放したままのリビングの扉、その窓の向こうには、見慣れてしまった空の風景。一瞬だけ、自分が宙に浮かんでいるような気分になる。
 そこから目を移すと、隣の仕事部屋のパソコンに向かって、ひたすらキーボードを叩いている慎哉さんのくたびれた背中が目に入った。
「ごめんね、もうちょっとだけ待って」
 焦ったような彼の声。
「別に急がなくてもいいよ。コンビニでお弁当とか適当に買ってきたからね」
「ありがとう」
 キッチンの流しの上にコンビニ袋を置き、やかんに水を入れてコンロにかけた。ここに立つと、リビングからまっすぐに続く仕事部屋に居る彼の後姿が良く見える。
 肩に力が入っていて、見るからに疲れている。そして、部屋中に漂っている緊張感。普段ののほほんとした慎哉さんからは感じられないオーラだ。
 誰しも苦労しないで成功することはない。慎哉さんだって、ダラダラと暮らしてきたわけじゃないんだ。彼なりに努力をして、必死で頑張っている。
 だからこそ、今のこの生活がある。本棚いっぱいの著作本は彼の努力の証だ。
 やかんが沸騰して白い湯気を立てた。コンロを消して、急須に緑茶を入れ、お湯を注ぐ。香ばしい香りが漂ってきたのと同時に、「終わった!」と慎哉さんの声がした。
 見ると、さっきまで彼がまとっていた緊張感が消えている。そっと近づくと、データをメールで送っているところだった。
 送信ボタンを押したところで、彼の背中から腕を回してみた。
「わっ、七実ちゃんっ!?」
「邪魔?」
「ううん。もう終わったから……ごめんね、待たせて」
 回した腕に慎哉さんの手が触れた。大きくて温かい手。長い時間ペンを持ち、キーボードを叩いている指。その指には幾つもの硬いたこが出来ている。それも彼の努力の証だ。
 わたし達とは違う部分で苦労して、悩み、考え、そして彼の世界を綴っていく。それは決して簡単な言葉では表せない。
 慎哉さんの子どもの時の話は、本人や祖母から少しずつ聞いていた。わたしと同じ、決して忘れられない暗黒の記憶。
 それでも、それを乗り越えて今の彼がある。
「これからは、わたしが幸せにしてあげるね」
 あなたがそうしてくれたように。
 もしも彼が作家をやめてしまったとしても、彼と祖母を養っていくくらいの気概は持っているつもりだ。
 彼の職業ではなく、彼自身の存在がわたしには必要だから。この気持ちは、きっと“愛”なんて言葉よりももっと深い。
 ささやいたわたしの腕に触れていた彼の手に力が入った。
「七実ちゃん……ありがとう」
 つぶやく声が優しく響く。

 わたしたちは似ている。
 彼に欠けた部分、わたしに欠けた部分。
 お互いがそこを補って、支えあって生きていこうと改めて思った。
 彼の大切さを再実感させてもらったことには感謝するべきだろうか。まだ会社の机の引き出しに仕舞ったままにしている本と、例の彼女たちのことを思い出しながら、彼の背中にギュッと抱きついた。



おわり

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MEMO

このお話は、アルファポリス様から出させて頂いた書籍、
「ロマンティックは似合わない」のSSです。
2013年の春頃「どこでも読書」さんのエタニティ・フェア用に書き下ろしました。

これまで出させて頂いたお話の中で、一番好きなのはこのお話です。
程よく明るく、程よく暗くw
慎哉さんの暗さは兵庫に似てるなとか思ったり。
七実は最初は嫌な女の子だったけど、救済出来て本当に良かったなぁと思ってます。

「ロマ似」のフェア用のSSはもう一つあるので、近々upしますね。

少しでも楽しんで頂ければ嬉しいです(#^^#)

2015年3月
桜木小鳥